6.古事記の主人公は、阿波の穀靈(こくれい)・大宜都比売神(おおげつひめがみ)である!
 全国からの参詣者が絶えない伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神(とようけのおおかみ)と大宜都比売神(おおげつひめがみ)とは同一神である、と大日本神名辞典や本居宣長著「古事記伝」、広池千九郎(ひろいけちくろう)著「伊勢神宮と我が国体」などに書かれています。大宜都比売と豊受大神が同一神であるので、全国の人は阿波の穀靈・大宜都比売神を拝んでいるのです。
 古事記に粟国(あわのくに)は大宜都比売と記述され、この神だけが国生みより登場し続ける唯一(ゆいつ)の神です。伊邪那岐命(いざなぎみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)が、国生みの後に生み、須佐之男命(すさのおうみこと)が殺した場面などの計四回、大宜都比売名で登場しています。また、食粗の神として豊受大神・保食神神様など名を変えて何度も登場してきます。国生みで生まれた他の神は、それ以降一度も登場しないのですから古事記の主人公は大宜都比売になります。古事記に書かれている大宜都比売神は、先に現れ、物語として何回も登場しますが、これに対して豊受大神は
 【次は和久産巣日神(わくむすひのかみ)です。この和久産巣日神の子が、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)といいます。】また、天孫降臨(てんそんこうりん)の際に【次に登由宇気神(とゆうけのがみ)、こは外宮(とつみや)の度相(わたらい)に座(いま)す神ぞ】
とたった一行ずつで書かれ、物語にまでなっていません。どぢらの神を重要視して書いているかがわかります。大宜都比売が主人公として書かれているのですから、古事記は阿波で起こった事を記録にとどめた書物になります。現代の社会では、天照大御神が「古事記」の主人公であるように思われていますが、天照大御神は表に現れている神であって、須佐之男命と天照大御神の物語・天の岩戸の物語・葦原中国の平定・天孫降臨の物語など多くの場面に登場してきます。しかし、よく読めば、大宜都比売神が後ろに隠れているのがわかります。
 伊勢神宮の内宮所伝本、倭姫命世紀の冒頭にも、次のように記されています。(左参照)
 何よりも大切なことは「ミケツ神である豊受大神〈大宜都比売神〉と現身(うつせみ〉の天照大御神が、前もってかくれたる契りをむすび、ながく天下を治めた」と記録していることです。ここに大嘗祭、当夜の穀靈と現身との合体「かくれたる契り」が、伊勢神宮「内宮・外宮」のペアという表現と一致しているのです。
 また、太陽神であるのに伊勢神宮も天皇家も太陽を祭る神事が見あたりません。表向きは天照大御神を祀るといいながら、実際は夜に大宜都比売を祀る稲〈食物)の神事であり、また天皇がなされている祀りは、田植えや稲刈りを始とする新嘗祭・神嘗祭が一番重要な祭りです。それらを見ても太陽の祭りではなく、食粗の祭りです。食糧の神は、阿波日の大宜都比賣しかいないのですから、古事記は、阿波を舞台として繰り広げられた話です。
 これまで書いてきたように、大宜都比売神と豊受大神は、同一神であり、全国の人が伊勢神宮の豊受大神を拝むということは、根の国の阿波の穀靈・大宜都比売神を拝んでいることになります。
 伊勢神宮の内宮・外宮と同じように阿波では、徳島市国府町矢野神山八倉比売神社(祭神大日、貴・天照大御神、またの名を八倉比売神)と徳島県名西郡神山町神領字上角の上一宮大粟神社(祭神大宜都比売神またの名を八倉比売神)として祀られています。このように、大嘗祭の時の現身と穀靈の合体を、阿波のように八倉比売神という同一の名で表しているところは、日本中を捜しても阿波以外には、どこにも存在しません。以上この事実からみても古事記の上巻は、阿波古代の物語だったのです。